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現代の名工「浅野博」に関するニュース

  • 第13部門 木・竹・つる製品製造の職業等  指物職
    • 推薦都道府県 富山県
    • 浅野 博(あさの ひろし)
    • 所属名 浅野ヒッタ家具工業(株)
  • 技能功績の概要
    長年、木工指物士として従事し、家具から仏像まで幅広く手掛け、その指物技術は高い評価を受けている。また、後進者の指導・育成にも尽力している。

NHK放送

チューリップ放送

北日本新聞:「 浅野さん(黒部 木工指物)現代の名工

現代の名工:浅野博(北日本新聞)

  • 「仕事一筋走り続けた」

 厚生労働省は9日、伝統工芸や工業技術など各分野で優れた技能を持つ本年度の「現代の名エ」を発表した。県内から木工指物職人の浅野博さん(74)黒部市生地経新、浅野ヒッタ家具工業社長ーが選ばれた。10日に東京都内で表彰式がある。

 浅野さんは昭和10年生まれ。えとのイノシシと同じように猪突猛進、仕事一筋に走り続けてきた」と約60年の職人歴を振り返る。家具から仏具まで幅広く手掛け、その技術は各種コンクールなどで高い評価を受けた。

 父が始めた家具店の2代目。太平洋戦争中、疎開で店に来ていた汀戸指物師に習った。婚礼用の家具製造などで腕を磨き、昭和39年に第1回具家具連合コンクールで最高の県知事賞を受賞した。50年代には京都で仏師の巨匠、故松久朋琳・宗琳親子の外弟子として、仏像づくりを学んだ。

 平成16年の第1回全国仏壇仏具振興会コンテストでグランプリを獲得した。 毎朝、エ房に足を運ぶ。「職人は一人前になってから50年の修業が要る。(昭和39年の県知事賞受賞から)50年近くたって、名工に選んでいただいた。生涯をかけた仕事として、れからも走り続けたい」と話している。

(北日本新聞 2009年11月10日掲載)

北陸中日新聞:「家具職人の技 磨き続け」

現代の名工:浅野博(北陸中日新聞)

 卓越した技能者をたたえる本年度の「現代の名工」に、富山県からは黒部市生地経新、浅野ヒッタ家具工業社長の浅野博さん(74)が選ばれた。指物師、仏師、会社経営者それぞれの顔を持つ浅野さんに、これまでの道のりと今後の意気込みを聞いた。(平井剛)

  • 現代の名工に黒部・浅野さん

 一心不乱、まさにそんな形相で木彫の天神様を掘り進んめる。
「サクッ、サクッ」。静まり返った工房には、のみと木が触れ合う乾いた音だけが響き渡る。「技術は黙って盗むもの」。この道に進んだ時からの教えを忠実に守り、工房に余計な会話は持ち込まない。
 
 家具職人だった父と自宅に戦時疎開していた多くの指物師の中で育った。中学に上がるとカンナを手渡され、「明けても暮れても刃を研いでばかりいた」と振り返る。

「命の次に商売道具が大事、という師匠たにの無言の教えだった。

 父の仕事を手伝うようになった昭和30年代、住宅ブームに乗って家具は飛ぶように売れた。だが、慢心せず「次は何が売れるか」を常に追い求めた。
 その努力と結晶として、1964年の第1回県家具連合コンクールに出品した箪笥が見事に県知事賞を受賞。家の広さに応じてたんすの横幅が伸縮するという斬新なアイデアは当時、評判を呼んだ。

 40代に入り、突然京都の寺にこもって仏師の資格を得たのも、「いずれ家具だけでは食べていけなくなる」という時代の先読みがあったから。事実、花形商品だった婚礼家具はパッタリと売れなくなり、住宅に組み込まれたクロゼットの普及で家具販売は落ち込んでいった。

 「かつてのバブルの時代は訪れないだろう」と浅野さん。「しれでも、家具の需要がまったくなくなったわけではない。時代の半歩
でも先を行き、世界に通じる技を磨けば十分生き残れる」と自信ものぞかせる。生まれ年の干支になぞらえ、「これからも猪突猛進していくだけですよ」と豪快に笑った。

(北陸中日新聞 2009年11月10日掲載)

富山新聞 :「現代の名工に浅野さん(黒部)」

現代の名工:浅野博(富山新聞)

  • 卓越した指物技術
  • 「今後も新製品開発に挑戦」

 厚生労働省は9日、卓越した技能ををもつ今年度の「現代の名工」に、指物職の浅野博さん(74)=黒部市生地経新=ら各分野の150人を選んだと発表した。富山県の名工は75人目となり、10日に東京都内で表彰式が行われる。

 木工指物士の浅野氏は先代の父、浅野恵長が創業した「浅野ヒッタ家具工業」を受け継ぎ、1982年(昭和57年)から2代目の社長を務める。

 県内に3店舗を展開する経営者にとどまらず、家具から仏像まで自ら手掛ける技術の基礎は、戦中から戦後に地元の生地に疎開していた江戸指物士から習った。「”門前の小僧”のように覚え、腕を磨いた。戦争で物が不足し、作れば売れる時代だったため、家業が忙しく、自然と手伝い始めた」と振り返る。

 1952年、前身の浅野家具製作所に入社後、箪笥本体の幅を変更できる「伸縮巻戸箪笥」で全国家具会長賞に輝き、特許を取得っするなど高い評価を得た。ヒノキ材を弓形にしてスプリング効果
を持たせた木曽桧ベッドは2003年に富山プロダクツ選定商品として認定されている。「今後も絶えず、アイデアを凝らし、新しい製品の開発に挑戦していきたい」と意欲をみせる。

 このほか、フランス懐石料理を作り上げ、日本でのフランス料理の発展に貢献した坂井宏行さん(67)東京らも選ばれた。

富山新聞2009年11月10日掲載

読売新聞 :「現代の名工に浅野さん」

現代の名工:浅野博(読売新聞掲載)

  • 指物師、大仏師として高評価

 卓越した技能を持つ「現代の名工」に、県内からは黒部市生地経新の家具工業社長で指物師、浅野博さん(74)が選ばれた。浅野さんに喜びの声を聞いた。

 木の仮を組み合わせて仏壇や神棚、タンスなどを作る指物師の実騨こともに、大仏師としても高い評価を受けた。「大変驚いたか、
技術を認めていただき、うれしい。技術を次の世代に伝えて恩返ししていきたい」と喜びを語った。

 先代の父恵長さんが、戦後1945年に、家具の製造販売を始め、ちょうど生地地区に疎開していた東京や大阪の指物師が店に集
まってきた。当時10歳だった浅野さんは、自然に店を手伝うようになり、「一流の指物師についての修業が家で始まった」と振り返る。

 指物のほかに、元々好きだったとく仏像を作るため、1975年頃から京都の仏師、松久朋琳、宗琳親子に弟子入りして修業を積んだ。2004年には、第1回全国仏壇仏具振興会コンテストで、出品した観音像と、富山の浜黒崎の松で作った仏壇が、最高位の白金賞を受賞した。

 また、03年には木曽ヒノキを素材にした木製ベッドを作るなど
常に新しい作品も生み出し続ける。現在も、県産材の立山杉を使って現代の家にも合うような仏壇の製作に取り組む。

「修業をつらいと思ったことはない。職人の世界は、黙って50年仕事して、その結果が300年後まで残るもの。これからも走り続けていかないと」。製作意欲は衰えることはない。

(読売新聞 2009年11月10日掲載)